がん細胞の脂質代謝バランスの破綻が抗がん剤耐性を引き起こすことを発見

コレステロールとスフィンゴミエリンの不均衡に着目した新しいがん治療標的の可能性

医学研究院
池ノ内 順一 教授

ポイント

・がん細胞が上皮間葉転換(EMT, ※1)を起こすと、脂質代謝のバランスが大きく変化し、抗がん剤に対する耐性を獲得することが明らかになりました。
・これまで未解明であったEMTと薬剤耐性を結びつける分子基盤について、脂質代謝という画期的な視点から明らかにした研究です。
・がん治療における新たな標的や評価法など、様々な治療戦略へと展開されることが期待されます。

概要

動物私たちのからだを構成する細胞の細胞膜では、コレステロールやスフィンゴミエリンなどの脂質が適切な比率で存在することで、その構造と機能が保たれています。九州大学大学院医学研究院生化学分野の松本惇志 助教、池ノ内順一 教授、愛知医科大学病理学講座の猪子誠人 講師、愛知県がんセンターの細田和貴 遺伝子病理診断部部長、小島崇宏 泌尿器科部部長、東京科学大学物質理工学院応用化学系の小西玄一 准教授らの研究グループは、がん細胞が上皮間葉転換(epithelial to mesenchymal transition; EMT)を起こす過程で、脂質代謝のバランスが破綻し、それが抗がん剤耐性の獲得につながる分子機構を解明しました。

本研究では、EMTを誘導する転写因子Snailを発現したがん細胞において、スフィンゴミエリンの生合成に関わる酵素の発現が抑制され、その結果、細胞膜中のスフィンゴミエリン量が低下することを見出しました。一方でコレステロール量は大きく変化しないため、細胞内ではコレステロール/スフィンゴミエリン比が上昇します。この脂質バランスの異常により、細胞膜で過剰になったコレステロールが細胞内へ取り込まれるとコレステロール排出機構が働きます。その結果、抗がん剤が細胞外へ排出されやすくなることで、がん細胞が薬剤耐性を獲得することが明らかになりました。

さらに研究グループは、コレステロールを無害化する経路の一つである「コレステロールのエステル化」に着目しました。この反応を担う酵素ACATを阻害すると、Snailを発現する腎がん細胞では細胞増殖が選択的に抑制され、マウス移植腫瘍モデルにおいても腫瘍の成長が有意に低下することを確認しました。これらの結果は、EMTを起こしたがん細胞が抱える脂質代謝の弱点を突くことで、新たな治療戦略が開ける可能性を示しています。本研究成果は、がんの浸潤性や治療抵抗性の理解を脂質代謝の観点から前進させるものです。

本研究成果をまとめた論文は、2026年1月12日付で国際学術誌『eLife』に掲載され、同誌のInsight記事として取り上げられました。

研究者からひとこと

がん細胞が悪性化する過程では、遺伝子発現だけでなく、細胞膜を構成する脂質の比率が大きく変化します。今回の研究では、「コレステロールとスフィンゴミエリン」という脂質の組成比が、がん細胞の薬剤耐性を理解する鍵になることを示しました。脂質代謝という切り口から、これまでとは異なるがん治療の可能性を切り拓いていきたいと考えています。 (九州大学 池ノ内順一)

用語解説

(※1) 上皮間葉転換
上皮間葉転換(epithelial-to-mesenchymal transition; EMT)とは、上皮細胞が通常持っている細胞同士の強い接着性を失い、間葉系細胞のような運動性や可塑性の高い性質を獲得する現象です。発生過程や創傷治癒といった生理的な場面では、組織形成や修復に重要な役割を果たします。一方で、がんにおいては、EMTを起こしたがん細胞が浸潤・転移能を獲得するだけでなく、抗がん剤に対する抵抗性や、がん幹細胞様の性質を示すことが知られています。しかし、EMTがどのような分子機構を介して治療抵抗性を引き起こすのかについては、長らく不明な点が残されていました。本研究は、EMTが細胞膜脂質のバランスを変化させることで、薬剤排出機構を活性化し、化学治療抵抗性を誘導するという新しい分子基盤を明らかにしました。

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