~創薬研究やマテリアル分野への応用に期待~
高等研究院
矢崎 亮 准教授
ポイント
・重水素(※1)は、創薬や材料科学など幅広い分野で注目されているが、天然物や医薬品、ポリマーのような複雑な分子構造に対して、特定の位置へ選択的に導入することは困難だった。
・本研究では、2種類の触媒を組み合わせることで、アミドとエステルの特定部位に温和かつ効率的に重水素を導入する手法を世界で初めて確立した。
・この手法により、多様な重水素化合物の合成が容易になり、創薬研究や機能性材料の開発に大きく貢献することが期待される。
概要
重水素は、「重水素化医薬品」をはじめ、創薬研究や有機合成化学などの分野で近年注目を集めています。これに伴い、さまざまな化合物に対して、直接的かつ位置選択的に重水素を導入する技術の開発が強く求められています。アミドやエステルは、天然物や医薬品に加え、ペプチドやポリマーといった高分子材料にも広く存在する基本的な構造単位です。しかし、これらのカルボニル化合物に含まれる水素原子は酸性度が極めて低いため、従来は重水素を導入する際に多量の試薬を用いた事前活性化工程が必要でした。
本研究では、これらの課題を解決するため、ルイス酸(※2)の一種であるTIPSOTfと塩基(※3)の一種であるDABCOの協奏触媒系を用いた新たな反応設計により、反応性に乏しいアミドやエステルを直接的に重水素化できる触媒反応の開発に、世界で初めて成功しました。この手法は、温和な条件下で進行し、複雑な分子構造を持つ化合物にも対応可能であり、重水素化合物へのアクセスを容易にする新たな合成基盤を提供します。
本研究は、九州大学大学院薬学府の古賀祐之介大学院生、福元良空大学院生、舛井顕丞大学院生、田中津久志大学院生(研究当時)、薬学研究院の大嶋孝志主幹教授、高等研究院の矢崎亮准教授(京都大学 学際融合教育研究推進センター重水素学ユニットメンバー)と、産業技術総合研究所化学プロセス研究部門の永縄友規研究グループ長、名古屋工業大学 生命・応用化学類の林幹大助教らの研究グループによって実施されました。本研究グループは、ルイス酸と塩基という性質の異なる2種類の触媒を組み合わせることで、カルボニル化合物を事前に活性化することなく、アミドおよびエステルの特定部位に重水素を導入する手法の開発に成功しました(図1)。本反応は天然物や医薬品に加えて、これまで重水素導入が困難とされてきたペプチドやポリマーへの適用にも成功しています。さらに、ルイス酸と塩基が付加体を形成することなく、互いに独立して高い反応性を保ったまま「フラストレーティッド・ルイスペア(FLP)」(※4)として機能していることが明らかになりました。今回開発されたアミドとエステルの触媒的重水素化法により、多様な重水素化合物を迅速かつ効率的に合成することが可能となり、今後、低分子から高分子まで幅広い機能性分子への応用が期待されます。
本研究成果は、英国の科学雑誌「Nature Catalysis」に2025年10月24日(金)午後6時(日本時間)に掲載されました。
用語解説
(※1) 重水素
水素の安定同位体の1つで、原子核が陽子1つと中性子1つとで構成されるもの。
(※2) ルイス酸
他の分子から電子対を受け取る性質を持つ物質。触媒反応などで分子の反応性を高める役割を果たす。
(※3) 塩基
非共有電子対を持ち、プロトン(H+)を引き抜く性質を持つ物質。また、ルイス酸に電子対を渡して結合を形成したり、化学反応を促進したりする触媒として働く。
(※4) フラストレーティッド・ルイスペア(FLP)
ルイス酸(電子対を受け取る物質)と塩基(電子対を渡す物質)は反応して、お互いの性質を打ち消し合う。しかし、FLPでは立体的な障害や分子設計によって、酸と塩基が反応できない状態に保たれており、両者がそれぞれ高い反応性を保ったまま共存し、通常では起こりにくい化学反応を可能にするユニークな触媒系として機能する。
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